私は現在、「週刊大衆」で『半暮刻』を連載しているが、これまでさまざまな週刊誌で連載させて頂いた経験から、各誌それぞれに特色、個性があることを改めて実感した。
小説の連載という形で関わることがなければ、知らないままとなっていただろう。その意味では、とても貴重な経験をさせて頂いたと感謝している。
各エピソードはいずれ稿を改めて書く機会もあるだろうが、ここで強調しておきたいのは「週刊誌の記者は実に実に大変な仕事である」ということだ。
張り込み、尾行、勘の閃き、情報収集のためのあれこれ……まさにハードボイルドな私立探偵さながらの激務で、体力的にも精神的にも、私にはとても務まらないと思う。
私は近年、現代史に材を採った作品を手掛けることが多いが、その過程で、週刊誌が果たした功績――具体的には事件の端緒をつかんだ大スクープ、丹念な取材による真相の追究など、まさに歴史を作ってきたと言っても過言ではない役割を果たしてきたことを改めて学んだ。
それこそ「知らなかった!」という驚きの連続だったのである。
そして現在。世界は大きな事件にかつてないほど揺れている。
テレビ・新聞等のメディアの中には、ジャーナリズムにあるまじき日和見、事なかれ主義に閉じこもっている社も見受けられる。それはメディアとしての自死である。ただの自死ではない。社会を巻き込んだ無理心中に等しい罪だ。
メディアが報じるべき事を自らの意志で報じない。かつては想像もできなかった事態である。
なんと恐ろしいことか。
そんな状況であるからこそ、週刊誌の活躍に強く期待し、エールを贈っておきたい。
猛暑とコロナが蔓延る中、本当にご苦労様です。
スクープ記事だけではない。
エロ記事にもヤクザ記事にも、厳然として需要がある。それを切実に必要としている人々が存在する。そして社会を本当に支えているのは、実はそうした人達であったりもするのだ。
私もそうした人達について忘れることなく、執筆に取り組んでいきたいと思う。
各誌編集部の皆様、これからもどうか頑張って下さい。