月村了衛の月録

小説家 月村了衛の公式ブログ        連絡先 fidenco@hotmail.co.jp 

一期一会 山田風太郎先生の思い出(三)

(承前)
先生の七三分けの御髪には見事な寝グセがあり、太縁のメガネは完成されたコントのような絶妙の角度でズレていた。およそすべてが芸術としか言いようがない。天下の山風としてもうまったくスキのないお姿であった。
しかし。
不世出の天才、巨匠、芸術家といえど、それはまだ<人>のレベルである。
先生はそれを軽々と凌駕しておられたのだ。
テーブルをはさんで我々の前にお座りになられた先生のスラックスの中央部。
厳密に言うと右の足の部分の布地と左の足の部分の布地が結合する腰部布地のド真ん中。
そこに<窓>があった。
そしてそれは、あまねく全世界に対し無辺の心で広く大きく開放されていたのだ。
まさに一点の曇りもない大開放。
山田風太郎の核心部がこの眼前に!
我々の全身は硬直した。
窓からはこの上なく白い光が神々しいばかりに覗いている。
直視すれば間違いなく目がつぶれていたであろう。我々は三人とも咄嗟に視線を逸らして俯いた。
「あの、先生……」
東雅夫さんが恐る恐る切り出した。
「おそれながら、おズボンのチャックが開いておられます……」
三十年近くたった今も、この時の東さんの勇気と責任感には讃嘆の念を禁じ得ない。
「あ、そう」
先生は鷹揚にファスナーを閉じられたのであった。
かくして片鱗を見せるかと思われた大風太郎の核心部は再び秘匿された。
この時私は心に思った、「我々は今、文学史上の大事件を目撃したのではあるまいか」と。
(続く)